三原じゅん子さんは東京都板橋区出身の政治家です。
2024年10月1日、石破内閣において、内閣府特命担当大臣、女性活躍担当大臣、共生社会担当大臣として初入閣しました。
以前は劇団に所属し、小学生時代から女優として活動していましたが、2010年に政治家へ転身します。
そこで今回は三原じゅん子さんがなぜ政治家に転身したのか調査してみました。
ぜひ最後までお楽しみください!
三原じゅん子はなぜ政治家を目指したのか
小学生時代から東京宝映テレビ・劇団フジに入団し、劇団フジ定期公演「青い鳥」等に出演。
1979年には、『3年B組金八先生』に出演時は「山田麗子」という不良役で、人気が急上昇しました!
歌手・女優業で順風満帆な三原じゅん子さんでしたが、一体なぜ政治家をめざしたのでしょうか?
それは、2008年に子宮頸がんを患ったことが大きな転機となりました。
続いて三原さんが病気を患った時のことを見ていきましょう。
三原じゅん子が政治家を目指したのは癌がきっかけ
三原じゅん子さん2008年(当時44歳)に子宮頸がんと診断されました。
当時、三原さんは初めて人間ドックを受け、軽い気持ちで婦人科検査もオプションで付け検査を行い再検査となりました。
その後の再検査で「高度異形成」と診断されました。
最初は深刻に考えていなかったものの、最終的に「子宮頸部腺がん」と宣告され、頭が真っ白になったと語っています。
この闘病経験を通じて、三原さんは医療問題や女性の健康に対する関心を深め、「自分が議員となり、困っている人たちを助けたい」という強い思いを抱くようになりました。
がん患者としての視点から、行政の施策がいかに遅れているかを実感し、特に子宮頸がんワクチンの無償化や介護問題に取り組む必要性を感じました。
これらの問題に対して直接関与したいという思いから、政治家になることを選んだのです。
2010年の参議院選挙に自民党から出馬する決意を固めました。
三原じゅん子は中卒で参議院選挙に当選
2010年には自民党から参議院選挙に立候補し、初当選を果たしました。
また、三原じゅん子さんは中卒という学歴にもかかわらず、政治家として成功した例として注目されています。
ネガティブな反応
中卒という学歴は、一般的に政治家には高学歴が求められるという日本の文化において、特異なケースとされています。
多くの人々は、政治家が大学を卒業していることを期待するため、中卒である彼女が大臣職に就くことに疑問を持つ声もあります。
特に「子供がいないのにこども政策大臣になるのはどうなのか?」という意見が多く見られます。
ポジティブな反応
一方で、三原さんの支持者は、彼女が自身の経験を基にした政策提言を行うことができる点を評価しています。
三原じゅん子さんは2008年に子宮頸がんを患った経験から医療問題に関心を持ち、その後の政治活動でも医療政策や女性の権利向上に力を入れています。
このような背景から、「実際の経験があるからこそ、現場の声を反映させることができる」という期待も寄せられています。
総じて、三原じゅん子さんが中卒であることについては賛否が分かれています。
批判的な意見としては、「教育を受けていない人間が重要な政策を決定することに不安を感じる」というものがあります。
一方で「彼女の実体験や情熱が政策に生かされるべきだ」という支持も存在します。
三原さんは「学歴ではなく、実力と情熱が政治家としての成功を決める」と信じており、懸念を払拭しようと努めました。
以降、彼女は3期連続で当選し、参議院環境委員長や厚生労働委員長などの重要な役職を歴任しています。
また、厚生労働副大臣や内閣府大臣補佐官としても活動し、特にがん撲滅や介護問題に力を入れています。
三原じゅん子のプロフィール
- 本名: 中根 順子(旧姓:三原)
- 生年月日: 1964年9月13日
- 年齢:60歳(2024年現在)
- 出身地: 東京都板橋区
- 身長: 164cm
- 血液型: B型
- 学歴:板橋区立志村第一中学校卒業
まとめ
いかがだったでしょうか。
今回は三原じゅん子さんがなぜ政治家を目指したのかをご紹介しました。
これからもご活躍を応援しています!
最後までお読みいただきありがとうございました!
コメント